命
2008年01月18日
阪神大震災から13年
すっかり街の風景も変わりました。
僕達の心の中からも
次第に震災の時に感じたことや
強く心に思ったことも
薄れつつあるような気がします。
今、思い出しても
ただ映画のワンシーンを
思い出しているような
変な違和感があります。
あまりにも非現実な光景だったんで。
倒れたたくさんのビル。
ぺっちゃんこの家。
真っ二つになったアスファルト。
落ちている高速道路。
燃えている街。
病院の待合室に
並べられた数え切れない遺体。
次々と入ってくる
友達や知り合いが死んだって話。
2ヶ月近く続いた
水もガスもない原始的な生活。
僕も震災で人生の方向が
大きく変わってしまった一人ですが
それでも
亡くなった人達の無念さや
大怪我をした人達の傷あと。
家族を亡くした人達の
悲しい気持ちを考えると
僕は被災者です!
なんて口が裂けても言えない。
あの時はまだ、19歳だったけど
自然災害の恐怖や
人生の儚さ、命の大切さ。
色々と身を持って感じたし、
楽しければいいんだ!って
無意味に時間を過ごし
遊んでばかりいた自分が
本当に情けないと心から思った。
震災のおかげ…なんて言ったら
絶対にいけないと思うけど、
今、僕を支えてくれている人達のほとんどは
震災によって変わってしまった今の人生を
僕が生きているからこそ出会えた人達。
と、考えると
たくさんの人達の犠牲の上に
成り立っている
自分の人生なんだなって思います。
だからこそ、
無駄に時間を過ごすことなく
人の道に外れることなく
自分だけが良ければいいなんて人間になることなく
毎日を生きていかなければ罰が当たります。
ついつい忘れてしまいがちな当たり前の事。
もう一度、しっかりと胸に刻みつけなければ!
恥ずかしくない真っ直ぐな人生を送りたいですね!
神戸から
防災と教訓を全国へ発信するために
人生をかけているかっこいい人達がいます。
防災神戸
僕が心から尊敬する土井さんという方がリーダーとなって
神戸の教訓を生かして伝えていく為のプロジェクトです。
防災の輪、命の輪が広がっていけばいいなあ
僕達の心の中からも
次第に震災の時に感じたことや
強く心に思ったことも
薄れつつあるような気がします。
今、思い出しても
ただ映画のワンシーンを
思い出しているような
変な違和感があります。
あまりにも非現実な光景だったんで。
倒れたたくさんのビル。
ぺっちゃんこの家。
真っ二つになったアスファルト。
落ちている高速道路。
燃えている街。
病院の待合室に
並べられた数え切れない遺体。
次々と入ってくる
友達や知り合いが死んだって話。
2ヶ月近く続いた
水もガスもない原始的な生活。
僕も震災で人生の方向が
大きく変わってしまった一人ですが
それでも
亡くなった人達の無念さや
大怪我をした人達の傷あと。
家族を亡くした人達の
悲しい気持ちを考えると
僕は被災者です!
なんて口が裂けても言えない。
あの時はまだ、19歳だったけど
自然災害の恐怖や
人生の儚さ、命の大切さ。
色々と身を持って感じたし、
楽しければいいんだ!って
無意味に時間を過ごし
遊んでばかりいた自分が
本当に情けないと心から思った。
震災のおかげ…なんて言ったら
絶対にいけないと思うけど、
今、僕を支えてくれている人達のほとんどは
震災によって変わってしまった今の人生を
僕が生きているからこそ出会えた人達。
と、考えると
たくさんの人達の犠牲の上に
成り立っている
自分の人生なんだなって思います。
だからこそ、
無駄に時間を過ごすことなく
人の道に外れることなく
自分だけが良ければいいなんて人間になることなく
毎日を生きていかなければ罰が当たります。
ついつい忘れてしまいがちな当たり前の事。
もう一度、しっかりと胸に刻みつけなければ!
恥ずかしくない真っ直ぐな人生を送りたいですね!
神戸から
防災と教訓を全国へ発信するために
人生をかけているかっこいい人達がいます。
防災神戸
僕が心から尊敬する土井さんという方がリーダーとなって
神戸の教訓を生かして伝えていく為のプロジェクトです。
防災の輪、命の輪が広がっていけばいいなあ

2007年12月06日
生きるってなあに?
短い人生です。
人の一生なんて儚い夢物語。
でも、1つしかない命。
重いも軽いもない。
今日、
おかんの大切な友達が
亡くなりました。
もちろん、僕も弟も知っている人…
泣いてるおかんを見て
僕達は何も言葉が出なかったなぁ。
癌に冒された体で
それでも精一杯頑張ってました。
はっぴーすとーんで扱っているブレスレットを
おかんがプレゼント。
大喜びしてくれました。
不公平ですよね。
本当に素敵な人や
頑張っている人に限って
神様は何故、
こんな仕打ちをするんだろうか?
かたや、
人の命を奪って平気な顔している奴。
自らの欲の為に、
弱い人達を公害病や薬害エイズにした連中。
真面目な人間を自殺に追いやった
偉くて立派だと自分で思っているような連中が
ぬくぬくと美味しい思いをしながら
人生を全うする。
世の中って何だろう。
そして僕は思います。
一度しかない人生だから
自分のやりたい事をしないと!って
語っている人をよく見る。
果たしてそうなのかな?って
一度しかない人生。
やりたい放題するのは勝手だし、
それも素敵な人生には変わりない。
でも僕はそんな考え方になんの魅力も感じないし、
少なくても僕の周りにいる人たちは誰もみんな
この考え方を徹底している。
だから僕達は
何かのために精一杯生きている人に憧れる。
カッコ悪いと言われる生き方をしている人に
色々と教えてもらいたいと考える。
自己犠牲なんて
偉そうなものではないけど、
やっぱり
短い人生
いつ終わるか分らない人生だからこそ
一生懸命、苦労しながら
カッコ悪く面白く生きていきたいと思う。
人の一生なんて儚い夢物語。
でも、1つしかない命。
重いも軽いもない。
今日、
おかんの大切な友達が
亡くなりました。
もちろん、僕も弟も知っている人…
泣いてるおかんを見て
僕達は何も言葉が出なかったなぁ。
癌に冒された体で
それでも精一杯頑張ってました。
はっぴーすとーんで扱っているブレスレットを
おかんがプレゼント。
大喜びしてくれました。
不公平ですよね。
本当に素敵な人や
頑張っている人に限って
神様は何故、
こんな仕打ちをするんだろうか?
かたや、
人の命を奪って平気な顔している奴。
自らの欲の為に、
弱い人達を公害病や薬害エイズにした連中。
真面目な人間を自殺に追いやった
偉くて立派だと自分で思っているような連中が
ぬくぬくと美味しい思いをしながら
人生を全うする。
世の中って何だろう。
そして僕は思います。
一度しかない人生だから
自分のやりたい事をしないと!って
語っている人をよく見る。
果たしてそうなのかな?って
一度しかない人生。
やりたい放題するのは勝手だし、
それも素敵な人生には変わりない。
でも僕はそんな考え方になんの魅力も感じないし、
少なくても僕の周りにいる人たちは誰もみんな
この考え方を徹底している。
だから僕達は
何かのために精一杯生きている人に憧れる。
カッコ悪いと言われる生き方をしている人に
色々と教えてもらいたいと考える。
自己犠牲なんて
偉そうなものではないけど、
やっぱり
短い人生
いつ終わるか分らない人生だからこそ
一生懸命、苦労しながら
カッコ悪く面白く生きていきたいと思う。
2007年10月16日
天国のあの人へ
前回のM兄弟の馬鹿話から一転です。
ちょっとだけ今日は真面目なお話を。
ここ1ヶ月の僕の様子を心配してくれる方が
たくさんいて感謝です。
ブログにて諸事情を書かせていただきます。
めっちゃプライベートな事ですが…
死
皆さんは恐くないですか?
死んでしまうという事は当たり前だし、
それ自体は別に受け入れられる事です。
ただ、自分が死んで家族や友達、大切な女の子、
お世話になっている人達、超可愛いレオ(猫)。
そういった人達に会えなくなるのが寂しいし、
その人達もいずれ死んでしまうんだという事を
考えただけでとても切ない気持ちになります。
先日、商売人としての僕を育ててくれた
Y社長が亡くなりました。
働き盛り。まだ50歳そこそこのはず。
10年前、フラフラしていた若い僕の
人たらしの才能をみつけて信じて
僕を雇ってくれた恩人でした。
あの時、Y社長が僕を拾ってくれなければ、
たくさんの気の合う人たちに囲まれた
こんなに素敵な現在を過ごせてなかったと思います。
傾きかけてた会社で社長と一緒に頑張りました。
アホな事を考えて実行して失敗して、2人で凹んで。
楽しい3年間でした。
ビジネスなんて横文字はくそ食らえ!
得意げに武勇伝ばかり話する奴は全然おもんないって!
人の気持ちを大事に出来ない奴は○○○以下だ!
明るく楽しく面白く、そして 誰よりもかっこ悪く!
これが今の僕達 合資会社be-happy の社訓です。
(合資会社ってのも今時、なかなかカッコ悪いでしょ?)
そして今の僕の商売人としてのスタンスは
Y社長から学んだ部分がとても多いんです。
それなのに7年前、
気持ちのいい別れ方が出来ませんでした。
お互いに譲れない部分がありました。
どうしようもない心の葛藤もあったけど、
気まずい雰囲気のままハイさようなら
独立して商売人になった僕を
Y社長はどんな風に思っているんだろうと心配でした。
だから、数年後に知り合いから
Y社長が僕の事を気にしていた!とか
アイツは目標を成し遂げる事が出来る男だ
って褒めてたよ!とか聞いた時、
本当に嬉しかったのを覚えてます。
いつか、自分の会社を大きくして
Y社長に頭をしっかりと下げて
仲直りするんだっていうのが
僕の大切な目標になってました。
Y社長が亡くなった事を知ってから今日までの約1ヶ月。
本当に僕は落ち込んでいたし、
明るいポジティブな自分を演じるのもきつかった。
たくさんの人に心配をかけたし
気持ちの入っていない言動や投げやりな態度で
身近な人たちを傷つけてしまった気がするのです。
死んだって聞いたときはびっくりしただけでした。
へ〜って感じ。たいして何も思わなかったし。
でも、1日1日と日が経つにつれて
もう会えないんだ、話も出来ないし謝れない。
そう考え出すと本当に寂しくなるもので…
死んだっていう現実的な悲しみは最初は全然なくて、
2度と会えないんだっていう感情が顔を出してから、
その人がいなくなった現実がジワジワと
心に染みわたっていく。
解決できなかったわだかまりを残したままで、
二度と会えなくなるのは本当に残念なこと。
たくさんの人たちの思いやりで
100パーセント吹っ切れました。感謝
心配してくれた人たちや
身近な人たちに
心から誠意を持って
これから接していかなければなりません
決して人生に悔いがあってはいけませんよね。
反省はたくさんたくさんしなくてはならないけど、
後悔なんて馬鹿馬鹿しいですから。
だからこれから毎日を後悔しないよう真剣に
一生懸命頑張らなければと思うんです。
人を傷つけたり裏切ったりして何かを得ても
それは何ひとつ得ていないのと同じことです。
僕はこれから一生懸命頑張って
たくさんの人たちと関わっていきたい。
毎日毎日を楽しい1日にしたい。
嫌な事から逃げずに
真正面から堂々と向き合える人になりたい。
僕と関わるすべての人たちが
幸せになれるような人間になりたい。
死んでからも色んな事を考えさせたくれた吉川社長は
やっぱり僕の大切な大切な師匠だったようです。
育ててくれてありがとうございました!
まだまだ、足元にも及びませんが
いつか追いつける日のために頑張ります☆
少し真面目すぎました
次回はお馬鹿な話シリーズで
ご機嫌を伺わせていただきましょう
ちょっとだけ今日は真面目なお話を。
ここ1ヶ月の僕の様子を心配してくれる方が
たくさんいて感謝です。
ブログにて諸事情を書かせていただきます。
めっちゃプライベートな事ですが…
死
皆さんは恐くないですか?
死んでしまうという事は当たり前だし、
それ自体は別に受け入れられる事です。
ただ、自分が死んで家族や友達、大切な女の子、
お世話になっている人達、超可愛いレオ(猫)。
そういった人達に会えなくなるのが寂しいし、
その人達もいずれ死んでしまうんだという事を
考えただけでとても切ない気持ちになります。
先日、商売人としての僕を育ててくれた
Y社長が亡くなりました。
働き盛り。まだ50歳そこそこのはず。
10年前、フラフラしていた若い僕の
人たらしの才能をみつけて信じて
僕を雇ってくれた恩人でした。
あの時、Y社長が僕を拾ってくれなければ、
たくさんの気の合う人たちに囲まれた
こんなに素敵な現在を過ごせてなかったと思います。
傾きかけてた会社で社長と一緒に頑張りました。
アホな事を考えて実行して失敗して、2人で凹んで。
楽しい3年間でした。
ビジネスなんて横文字はくそ食らえ!
得意げに武勇伝ばかり話する奴は全然おもんないって!
人の気持ちを大事に出来ない奴は○○○以下だ!
明るく楽しく面白く、そして 誰よりもかっこ悪く!
これが今の僕達 合資会社be-happy の社訓です。
(合資会社ってのも今時、なかなかカッコ悪いでしょ?)
そして今の僕の商売人としてのスタンスは
Y社長から学んだ部分がとても多いんです。
それなのに7年前、
気持ちのいい別れ方が出来ませんでした。
お互いに譲れない部分がありました。
どうしようもない心の葛藤もあったけど、
気まずい雰囲気のままハイさようなら

独立して商売人になった僕を
Y社長はどんな風に思っているんだろうと心配でした。
だから、数年後に知り合いから
Y社長が僕の事を気にしていた!とか
アイツは目標を成し遂げる事が出来る男だ
って褒めてたよ!とか聞いた時、
本当に嬉しかったのを覚えてます。
いつか、自分の会社を大きくして
Y社長に頭をしっかりと下げて
仲直りするんだっていうのが
僕の大切な目標になってました。
Y社長が亡くなった事を知ってから今日までの約1ヶ月。
本当に僕は落ち込んでいたし、
明るいポジティブな自分を演じるのもきつかった。
たくさんの人に心配をかけたし
気持ちの入っていない言動や投げやりな態度で
身近な人たちを傷つけてしまった気がするのです。
死んだって聞いたときはびっくりしただけでした。
へ〜って感じ。たいして何も思わなかったし。
でも、1日1日と日が経つにつれて
もう会えないんだ、話も出来ないし謝れない。
そう考え出すと本当に寂しくなるもので…
死んだっていう現実的な悲しみは最初は全然なくて、
2度と会えないんだっていう感情が顔を出してから、
その人がいなくなった現実がジワジワと
心に染みわたっていく。
解決できなかったわだかまりを残したままで、
二度と会えなくなるのは本当に残念なこと。
たくさんの人たちの思いやりで
100パーセント吹っ切れました。感謝

心配してくれた人たちや
身近な人たちに
心から誠意を持って
これから接していかなければなりません

決して人生に悔いがあってはいけませんよね。
反省はたくさんたくさんしなくてはならないけど、
後悔なんて馬鹿馬鹿しいですから。
だからこれから毎日を後悔しないよう真剣に
一生懸命頑張らなければと思うんです。
人を傷つけたり裏切ったりして何かを得ても
それは何ひとつ得ていないのと同じことです。
僕はこれから一生懸命頑張って
たくさんの人たちと関わっていきたい。
毎日毎日を楽しい1日にしたい。
嫌な事から逃げずに
真正面から堂々と向き合える人になりたい。
僕と関わるすべての人たちが
幸せになれるような人間になりたい。
死んでからも色んな事を考えさせたくれた吉川社長は
やっぱり僕の大切な大切な師匠だったようです。
育ててくれてありがとうございました!
まだまだ、足元にも及びませんが
いつか追いつける日のために頑張ります☆
少し真面目すぎました

次回はお馬鹿な話シリーズで
ご機嫌を伺わせていただきましょう

2007年10月10日
黒猫とおじいさん
久しぶりの更新です!
たくさんの人が見に来てくれてるのに
申し訳ないです。
スタッフMMの日記で
彼がいい話を書いているので
こちらはおバカな記事をと思いますが
今回は僕も猫の事を書くとします。
18の頃。
一匹の黒猫と須磨のビーチで出会いました。
人懐っこくてクロって名前を勝手につけて…
近くの専門学校へ通っていた僕は
いつも彼に会いに授業前、授業後に
餌を買って走ったものでした。
とにかく可愛かったなあ…
ある日を境に
帽子のお爺さんが頻繁にクロのそばにいるようになって
僕はそのお爺さんとも仲良くなりました。
当時、お付き合いしてた彼女との悩み、
これからの人生の不安、学校やバイトの愚痴。
お爺さんはいつもニコニコと聞いてくれて
アドバイスをしてくれました。
「悔いのないように生きなさい」
が結局いつものアドバイス。
18の少年と70を超えたお爺さんの
お互い名前も知らない奇妙な友情。
そんな日が半年ほど続いた後に
阪神大震災が起こり、学校もつぶれ
いつの間にか僕はその場所へ行かなくなりました。
その後、何度か行きましたが
お爺さんにもクロにも会うことはなく…
震災から6年後…
今の会社を立ち上げた頃
ふと、その場所を訪れました。
「もしかしてクロやお爺さんに会えるかも」
もちろん、いるはずもなく
そのベンチには
お婆さんが座っていました。
午後の紅茶を片手に
僕はおばあさんの横へ腰を下ろして
タバコを吸おうとした時、
「タバコ吸ったらガンになりますよお」と
お婆さんの‘余計なお世話‘攻撃!
横目で婆さんをちら見しながら
タバコを消しました。
しばらく無言のバトルが続きます。
そんな時、突然お婆さんが
ポツリポツリと話を始めました。
明日、関東に住む息子さん夫婦の家に引っ越すこと。
震災後、ご近所の人達が少なくなって寂しいこと。
長く連れ添った旦那さんが
震災後に突然死んでしまったこと。
そして、次の瞬間、僕はびっくりして
心臓が止まりそうになりました。
その亡くなった旦那さんが
ここにいた黒猫と少年と話す事を
いつもいつも楽しみにしていたこと…
茶髪にチリチリ頭に色眼鏡。
お婆さんの話すその少年のあまりの好青年っぷりに
「それ、僕です!」と言ったらお婆さんが
ショック死するかもと思って言いませんでした。
お婆さんとしばらく話をして帰りました。
帰りに涙が止まらなかったのを覚えてます。
ちゃんと、言った方が良かったと今でも後悔。
大好きだったお爺さんとクロを中心に起こった
小さな小さな小さな奇跡
2人の人間が
同じ人物と猫を思いだしながら
たまたまあの日、あの時間、あの場所を訪れた。
しかも、2人とも何年ぶりかに
もしかしたらお爺さんとクロの演出だったかも。
あれから、何度かその場所へ行くんですが、
クロにもお爺さんにもお婆さんにももう会えません。
だけど、
今でも思い出すと
あたたかい気持ちになれるんですよね。
落ち込んだ時は頑張ろう!って思えます。
こんな奇跡を体験したくて
僕は生きているのかも知れません。
フジテレビさん
この実話、
アンビリーバボーで使えませんか?
たくさんの人が見に来てくれてるのに
申し訳ないです。
スタッフMMの日記で
彼がいい話を書いているので
こちらはおバカな記事をと思いますが
今回は僕も猫の事を書くとします。
18の頃。
一匹の黒猫と須磨のビーチで出会いました。
人懐っこくてクロって名前を勝手につけて…
近くの専門学校へ通っていた僕は
いつも彼に会いに授業前、授業後に
餌を買って走ったものでした。
とにかく可愛かったなあ…
ある日を境に
帽子のお爺さんが頻繁にクロのそばにいるようになって
僕はそのお爺さんとも仲良くなりました。
当時、お付き合いしてた彼女との悩み、
これからの人生の不安、学校やバイトの愚痴。
お爺さんはいつもニコニコと聞いてくれて
アドバイスをしてくれました。
「悔いのないように生きなさい」
が結局いつものアドバイス。
18の少年と70を超えたお爺さんの
お互い名前も知らない奇妙な友情。
そんな日が半年ほど続いた後に
阪神大震災が起こり、学校もつぶれ
いつの間にか僕はその場所へ行かなくなりました。
その後、何度か行きましたが
お爺さんにもクロにも会うことはなく…
震災から6年後…
今の会社を立ち上げた頃
ふと、その場所を訪れました。
「もしかしてクロやお爺さんに会えるかも」
もちろん、いるはずもなく
そのベンチには
お婆さんが座っていました。
午後の紅茶を片手に
僕はおばあさんの横へ腰を下ろして
タバコを吸おうとした時、
「タバコ吸ったらガンになりますよお」と
お婆さんの‘余計なお世話‘攻撃!
横目で婆さんをちら見しながら
タバコを消しました。
しばらく無言のバトルが続きます。
そんな時、突然お婆さんが
ポツリポツリと話を始めました。
明日、関東に住む息子さん夫婦の家に引っ越すこと。
震災後、ご近所の人達が少なくなって寂しいこと。
長く連れ添った旦那さんが
震災後に突然死んでしまったこと。
そして、次の瞬間、僕はびっくりして
心臓が止まりそうになりました。
その亡くなった旦那さんが
ここにいた黒猫と少年と話す事を
いつもいつも楽しみにしていたこと…
茶髪にチリチリ頭に色眼鏡。
お婆さんの話すその少年のあまりの好青年っぷりに
「それ、僕です!」と言ったらお婆さんが
ショック死するかもと思って言いませんでした。
お婆さんとしばらく話をして帰りました。
帰りに涙が止まらなかったのを覚えてます。
ちゃんと、言った方が良かったと今でも後悔。
大好きだったお爺さんとクロを中心に起こった
小さな小さな小さな奇跡
2人の人間が
同じ人物と猫を思いだしながら
たまたまあの日、あの時間、あの場所を訪れた。
しかも、2人とも何年ぶりかに
もしかしたらお爺さんとクロの演出だったかも。
あれから、何度かその場所へ行くんですが、
クロにもお爺さんにもお婆さんにももう会えません。
だけど、
今でも思い出すと
あたたかい気持ちになれるんですよね。
落ち込んだ時は頑張ろう!って思えます。
こんな奇跡を体験したくて
僕は生きているのかも知れません。
フジテレビさん
この実話、
アンビリーバボーで使えませんか?



